当時リアルタイムで書いてた修業日記のファイルより。

写真は自宅からマイスターの店へ行く途中の教会です。
毎日、朝早くからこの横を自転車で通勤していました。

さて、私がパン職人弟子としてマイスターに採用してもらえるのでしょうか?試用期間2週目、3週目の記録です。

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1999年7月28日(水)

昨日、結構ブルーになる出来事がありました~。
昨日、仕事の後パンを買って帰ろうと思ったので、店の方へ寄りました。
ちょうど彼が食べたがっていたプラムのケーキも並んでいたので、パンとケーキと包んでもらって さぁ、お金を払おうって思ってお財布を開けたら、小銭しか入ってなかったの。

あ~、夫が夜中に取ったな!(会社で飲み会とか言ってたし・・・)と思って、 「ごめんなさい、思ってたよりお財布が淋しいからパンだけにします。」と言ってパンだけ買いました。

夫に 「昨日の夜、お財布から25マルク取ったよね。」って聞いたら、
取ってないよ~、と言われて、そこで 「?????まさかね~。パン屋のロッカーから??!!」
なーんて考えながらお昼を食べたもんだから、食べた気がしませんでした。
午後も、ず~っと考えて、考えて、「でも、同僚は疑いたくないしな~」なんて。

で、ベルリン在住10年の服飾関係でパタンナーやってる日本人の友達(男)に電話してみました。
彼曰く、 「そ~んなのベルリンじゃぁ、日常茶飯事よ~。
 ロッカーに鍵がついてないんだったら、小銭だけポケットに身につけて、お財布はなるべく持って行ったらだめよ~。
あたしは取ったことも取られたこともないけどさぁ、レストランの更衣室なんて客までしのび込もうとするのよ~。」
と、あっさり言われてしまいました。

マイスターに言うかどうかは、現在の立場上、それから現金という証拠のないものがなくなったっていう現実上、 難しいところだと言われ、夫と相談して決めなさい、と教えてもらいました。

よーく、よーく考えて、それから夫と相談して、とりあえず今回は忘れることにしました。
でも、気分的にはブル~。

今朝のお仕事は、そんなこと考えながら始まったものの、忙しくって途中から忘れてしまいました。
でも、また一つ難関が!!

今日は、古い粉の溜まったような場所を一時間くらい掃除しました。
これが原因だと思うんだけど、掃除が終わったころから体中がかゆくて、かゆくて、も~大変でした。
先週も少し、同じ場所周辺を掃除した後、かゆみを感じたんだけど、そう大したことでもなかったんですが、今日は、目まで充血してしまって、本当につらかった~。

家に帰ってズボンを脱いでみたら、太ももの内側とか膝の後ろとかを中心に蚊にかまれたみたいに腫れていました。 1時間半ほどでひいてきましたが、なんか心配~。
古い粉が原因だったら、だいたい今日で凄まじい所の掃除は終わったので、これからは大丈夫だと思うけど、 そうじゃなかったら・・・・恐いよ~。

私は大人になってからは結構からだは丈夫で、アレルギーとかも全くありません。
ただ、一度サービスエリアで古いそばにあたって、3,4日ほど全身じんましんみたいになったことがあります。 それ以来、恐くってそばは食べないようにしていますが、なんか今日のはそれを思い出すような感覚で、なんか心配です。


1999年7月30日(金)
試用も2週目が終わった~。
今週も相も変わらず、掃除掃除。

おかげで、私の右手は 「これが新婚主婦の手?!」 ってぐらいかわいそうです・・・
おしゃれもしたいよ~!
いままで忙しさにかまけて表面的な掃除してたな!!とマイスターやジェンディスを睨んでしまいます。(私は慣れてくると、とたんにO型特有のずうずうしさを発揮しだします。)

マイスターも無口なのは別に構わないんだけど、ちょっとは誉めてくれよ~、
今日も 「じゃあ、次は月曜日ね」 なんて軽く言ったら、ぜったい私の2週目の感想を聞き出してやるからな!! なんて考えながら、今日もまた古い粉のたまったようなところ(まだあったんだよ~)を掃除しました。

ところで、パン作りの方は、かなり言われなくても動けるようになりました。 日々、やらせてもらえることは増えています。 マイスターが口を開くのは、指示出しか間違い指摘のお言葉だけなので、ちょっとそこにむかつき始めた私は 一生懸命、仕事の流れや分量を見て盗んできているので、 やろうと思ってたところで、先に言われたりすると 「くっそ~!!!!」 なんて思いながらお仕事をしています。 そう、私はすっごい負けず嫌いなので~す。

待てない私は、自分からマイスターに私の2週目の感想を求めました。 そしたら、「いいよ。」って。 ドテッ(私がこける音)・・・・え~ん。もっと具体的になんかコメント欲しいよ~。

私 : 「私の仕事ぶりは、不充分なんでしょうか?」
マイスター : 「よくやってるよ。不充分だったらそのこと言ってるよ。」

・・・・やっぱり、何も言われないのがいいことなのかもしれないな。今日はこれでよしとしよう。 でも、試用も来週で終わり。来週はたくさんのコメント待ってるぜ!!
と思いながら、今日もケーキをもらって家路に着いたのでした。

試用最終週、第三週目に突入いたしました。

修業の方は、あいかわらず掃除がメイン。
それにしても、私はどんどん力持ちになっていますよ! もう、男の手を借りずに一人前に仕事をこなしてるんですよ!

・・・そしたら、マイスターが掃除しなくなりました。 だから、帰宅時間はちっとも早くなりません。 パン作りの方でも、 生地を押してぺったんこにする作業を最初にやらされた頃は、 マイスターやジェンディスのように2回押しただけでは不充分で、 マイスターにダメ出しされて、5,6回押す習慣になっていました。 ダメ出しした当のマイスターに今週は、「それじゃぁ、遅すぎる。こうやって、2回押すの!」と言われ、 やってみたら、できる~!!!! なんか前進って感じ。

そろそろ仕事の流れに乗ってきたので、研究心がむくむく湧いてきて 自分が手を加えたパンを試食してみたり、近所のパン屋で同じ種類を買って較べてみたりしました。 だって、マイスターなにも言わないんだもん~。

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私 : 「昨日、バターの角パン」買ってみたんですけど、土曜日(つまり私じゃない誰かがその作業をした)の方がおいしかったです。」
マイスター : 「そう?上手にやってるんじゃない?」
私 : 「私のは砂糖が付きすぎで、甘いです。砂糖のまぶし方変えなきゃ。」
マイスター : 「じゃあ、そうして。」

・・・・こんな感じなんだもん~。 う~ん、でも久しぶりに他のパン屋行ってみて、つくづくマイスターのお店が雰囲気いいし、種類も豊富ってわかりました。

1999年8月6日(金) 試用最後の日!

今日もいつもどおりのお仕事。 途中、マイスターに 「納税通知書をもってるか?」 と聞かれた。 おぉ、いい予感!! と、突然生地を丸める機械が故障。 その機械、備え付けなのかと思ってたら、修理するためにマイスターとジェンディスが二人がかりで場所をずらした! そして私には、これは何年分の汚れなんであろうか、と思われる床の掃除の指令が下りました。 あ~ぁ、最後までとことん掃除だよ。

マイスターは、切れたバンドを買いに出かけてしまい、 ジェンディスと二人で残りの作業を終えても、まだ戻ってこない・・・ マイスターの奥さんに聞いたら、彼女も 「何してんのかしら・・・遅いわねぇ。」 との返事。 と、ちょうどその時マイスターの車が到着。

マイスター : 「組合に寄って、書類をもらいにいってたんだよ。今度、納税通知書と履歴書を持ってきてね。」 と、いつも通りあっさりと言われてしまった。 でも、まぁとりあえず、採用決定!!!わーい! 9月1日から、弟子として働けることになりました。やった~! マイスターと店先で握手して、ジェンディスにも報告するために工房にもどって、彼と握手しました。さあ、弟子として本格的に修業がはじまりますよ!

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道が開けた瞬間でした。今の私があるのも、無口なマイスターが私を採用してくれたからです。
しかし、やっぱり私は最初だけおとなしい日本人でしたが、慣れてくるとすぐに私モードでマイスターに対応してますね。
生地をバンバンって2回手のひらで押して潰せるようになったっていうのも、その前は力加減が小さすぎたんですよね。素人にありがちです~。
丁寧に扱うべきところと、力を入れて扱うべきところ、その違いや力加減が分かってない。

あとは、粉でかゆくなってしまったとか、これは精神的なストレスですね。
今でもそうですけど、やっぱり気持ちの上で嫌々やってるのか、やらなきゃいけないからって進んでやってるのかで、仕事のあとの疲れ方とかも全然違います。
間違って理解してほしくないのですが、「精神論」を語ってるのではないのです。気合が足りない!って話ではないです。
子育てでもそう。あー嫌だなーって面倒くさがってやると、疲れます。それに、子供はすごくピュアなので、大人の気持ちの持ちようが鏡のように取り込まれて反射すると思います。だから、親が楽しい気分に持って行って対応すると、子供も結構良い子。親が嫌々やっていると、子供の態度も難しくなるなっていうのが、私のこれまでの子育てからの実感です。

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by deutschebaeckerin | 2018-12-07 00:01 | ドイツの生活 | Comments(0)

初めてパン工房で働いてみた時の話。当時リアルタイムで書いてた修業日記のファイルより。

かれこれ20年近く、いろんな工房で働いてきたので、今ではパン工房なんて全然新鮮味がないですけど、日本にいた時には、製造業とは無縁でしたし、パンも好きじゃなかったので、本当に目新しいことだらけでした。写真は当時のベルリンのマイスターのお店です。

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1999年7月19日(月) 私の試用の第一日目です!!!

前の日は、早起きに備えてまだ日の高いうちから就寝・・・のつもりが明るくて暑くて眠れない!
たぶん、どきどきしてたのもあるのかな。
結局、ぐっすり眠った気がしないまま、起床時間となりました。
何時かって?
そりゃーもー、早朝というより、深夜って感じで、マイスターの店のチャイム鳴らす時、
隣のビヤホールはまだがやがや楽しそうだったよぉ~。
(2018年追記 : 3時半からの仕事だったので、3時15分出勤でした)
交代で夏休みと言っていた通り、この間見た見習の子のおデブちゃんの方はお休みのようでした。
もう一人のトルコ人であろうと思われる見習の子と、マイスターと共にお仕事が始まりました。

まあ、二人とも職人って感じで、すっごい無口。必要なことしかしゃべらないので、私も邪魔にならないように 仕事の様子を一生懸命見ることにしました。
ついに初仕事の指令がとびました!!!!
「生地こね機のタイマーが3になったら、快速運転のボタンを押せ!」というもので、これを二度ほどやりまして、 しばらくしたら、マイスターが何やら薄べったい生地を三角に切っている!
もしやこれはクロワッサンではないのか?と思って注意して見てるとクルクル巻き始めて、クロワッサンの形になりました!

そして、おぉ!なんてぇことだ!マイスターが私を呼んでいる!
そこから14個のクロワッサンまきまき作業をやらせてくれました。
その後も、生地に照りづけの卵を塗る作業とか、生地を計る作業とか簡単なことをいろいろやらせてくれました。
うれしい!!
なるべく足手まといにならないように、一生懸命お手伝いをして、気がつくともう4時間もたっていました。

マイスターの奥さんが
「朝ご飯ですよ~!」と言って、サンドイッチとコーヒーを持ってきてくれて、私は15分間休憩をもらいました。
休憩から帰ると、もう後片付けが始まっていて、
そこから器具を洗ったり、作業台や壁を拭いたりしてるうちにまたまた2時間もたってしまいました。

マイスターが「今日は終わっていいよ」ということで、一日目が終わりました。
久しぶりに仕事ができて、それだけで気分がいいです。
トルコ人の子はもう2年間修業しているそうで、デニッシュの生地は彼の担当らしく、マイスターに指示をとばしてました! でも、焼き上げる作業はマイスターの特権らしく、マイスターはだいたいの時間、オーブンの中を睨んでられました。
仕事は毎日同じようなものになるだろうけど、修業ってそんなものだと思うので、パン一筋に二年間がんばってみたい、是非採用されたいと思った第一日目なのでした。

1999年7月23日(金)試用の一週間目が終わりました。

今週は二日目から今日まで、これでもかこれでもかってぐらいいっぱい掃除をさせられました。 材料倉庫、冷蔵庫、器具置き場の棚磨きや壁磨き・・・・ おかげで何がどこにあるのか、だいたいわかるようになりました。

パン作りの方は、小型パン(Broetchen)の数種類をまかされるようになりました。 でも、まだ仕事の流れがわからないので、言われないと動けない状況です。 勝手にやっても迷惑かけちゃうだけだし。

ケーキ類の方も、週末にそなえて昨日今日と、ほんとうにたくさんの種類を作ったみたいです。 みたい、というのは、私はケーキ作りの始まる頃にいっつも 「じゃあ、みちえ、バケツとスポンジを持って!」 とお声がかかって掃除に行かされてしまっていたので気づいていませんでした。残念だ~。

一度、天板にバターをいっぱい塗る作業をさせられて、 その横でマイスターが星型の金具のついた絞り器に、種を注いでるのを見て シュークリームみたいだなぁ、ワクワク!としていたのに、 やっぱり 「バケツとスポンジ」 と言われてしまいました。

今日仕事から帰る時に、マイスターが売り子の人にケーキを6個包んでくれるように頼んでくれて、 その時、どれが欲しいか店内を見まわして、「あ!あれはエクレアだったんだ!」 「あ!あの種類は全然見てなかった~!」と悔しい思いをしました。

仕事は曜日によって内容も量も違います。 途中5時間であがれる日もありました。今日は8時間でした。 相変わらず、仕事場で私語はほとんどありません。 マイスターもジェンディスももくもくと仕事をこなします。

時々、マイスターが彼に 「その砂糖衣は、ちょっと固いんじゃないか?!」 とか 「この生地のまとめ方は、強く押しすぎじゃないか?!」 とか結構見てないようで色々見ていて、横からごちゃごちゃ言います。 その時彼は、自分はこれでいいと思ったら、馬耳東風で作業を続行しちゃい、マイスターは正しいことを言っていると思ったら、無言でやり直したりしています。 どちらにしても無言。 マイスターもそれでいいみたい。 なんか面白い。

ところで、同僚の男の子は18歳なんだって。 一度、マイスターがお客さんと話し込んじゃって工房になかなか戻って来ないことがあって、 その時ジェンディスがいろいろ話し掛けてきて、お喋りしました。

マイスターも私に、テレビをネタに話し掛けて来たんだけど、 「うち、テレビないからわかんない」って言ったら、 「なんで無いんだ!」と不思議がられて、話が途切れてしまいました。

二人とも、社交的ではないけど、根はとっても良い人のようです。 私は土曜日も仕事があると思っていたので、今日の終わりに 「次は月曜日ね」 と言われてびっくりしました。

それにしても、試用がいったい何日続くのか全くわからなかったので、マイスターに聞いたら 「三週間だよ。」とあっさり言われ、 「え~?でも、決めてなかったよ。私、日食の時彼の実家に行くんですけど。ちょっと一緒にカレンダー見てください」 と二人で見たらちょうど三週間働けることがわかりました。

マイスター : 「一週間やってみてどう?しんどくない?」
私 : 「しんどくはない、面白いです。でも、マイスターは私の仕事ぶりはどう感じていますか? 掃除の時も、重い物をジェンディスに手伝ってもらったりしなければいけないし・・・」
マイスター : 「最初だからこれくらいでいいと思ってるよ。重いものを運ぶ作業などは男の子がいるからいいよ。」と言ってもらえました。

三週間やってみて本当の修業をするか決めなさい、と言われました。 でも、日本人の子を弟子に取ったことないし、どんな書類がいるのかパンの職人組合に聞かなきゃ。 とか言ってました。かなり脈あり?! うれしい!!

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あー、もうほんとに言われないと何もできない外国人見習いだったんですね、私。
一日目で、こりゃあんまり使えないって判断されて、きっと2日目から掃除させられたんだわ。
だって、見習いに来る子に掃除させるとか普通ではありませんよ~。
掃除させとけば、きっと私が音を上げて、すぐにやめるって思ったんしょうね。
ところがところが、日本の板前修業のドラマとか見ちゃってる私は、あんなのが普通だと思っちゃってるし、もともとパンに対して「ふわふわ~」とかポジティブな思い入れとかが全くなかった私なので、こんなもんか~って思って、やっていました。ははは。
振り返って読んでみると、ほんと、自分の無知ぶりもよく見えるし、マイスターの心境も読めるわ~。
それと、マイスターはかなり無口な方で、どちらかというと珍しい部類。
ドイツ人のパンの親方っておしゃべりな人が多いです。
おしゃべりしすぎ、でしゃばりすぎで、親方が休暇でいなくて、従業員だけで仕事してた方が仕事がはかどっている、というパターンも珍しくない(笑)。

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by deutschebaeckerin | 2018-12-06 00:22 | ドイツの生活 | Comments(0)

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20年前にリアルタイムで書いていた「ドイツパン職人修業の道」のファイルから。
私が「どうしてドイツでパンの修業をしてパン職人になったのか」を転載したいと思います。
最終的にマイスターまで取ってしまいましたが、きっかけは本当にひょんなことからでした。

そもそも、私は子供の頃に米農家のお嫁さんになって、美味しいご飯を好きなだけ食べたいって言ってたぐらいのご飯党だったんですから。今、振り返ってみると、小さい頃の私は、極軽い小麦(もしくはグルテン)アレルギー的なものがあったのかもしれない、と思ったりもします。当時は食べ物のアレルギーなんて話題にも上らないような時代でしたけど、麺類を食べたあとにお腹がおもたーくなる感覚があって、あんまり好きではなかったのです。それで、どうしても「ご飯=お米」を希望していて、一度なんて外食した際に、弟は麺が食べたい、私は絶対ご飯!となり、結局隣同士の別の店で父と母が別れて付き添ったなんていうこともありました。あとは、給食のパサパサしたパンが好きじゃなかったのも、そんなに日本でパンが好きではなかった理由かと思います。

しかし、ドイツに来てパンの美味しさに目覚めました!こんな美味しいパンがあるんだ!とびっくりしたものです。
写真はベルリンパン組合の建物です。ここを訪ねた時から私のドイツパン職人の人生がスタートしました。

パン作りが習いたいな
と、ドイツに来て結婚式も終わって時間を持て余していた時に、とっても素朴に思いました。 なぜかって、ドイツでおいしいと思うものはパンだから。 料理はアレンジして自分のものにしたいと思うものはあっても、 ドイツ料理そのものにあまり興味はないし、お菓子もレシピを見ればたいてい失敗なく作れます。 でも、パンだけはコツが必要。それに粉の種類や発酵方法、知りたいことはいっぱいです。 当初簡単に、カルチャースクールかなんかあるだろうと軽く考えていました。

どこで習えばいいの~?
学校を探そうとしたとき、すぐにドイツの教育システムと職人という仕事の位置付けの壁にぶつかってしまいました。 パン職人、お菓子職人、コック、大工さん、仕立て屋さんといったいわゆる職人といわれるものには 職人組合というのがあって、そのお墨付きがないと仕事になりません。 そうやって仕事の領域を守っているのです。 ということは、秘伝を簡単に教えてくれるカルチャースクールなんてないわけです。 そして、そのお墨付きをもらうには修業、ということですが、これも伝統の世界で師匠(マイスター)について習うのです。 まさに日本の寿司屋状態です。自分でマイスターにお願いして弟子にしてもらい、毎日見習い。 修業の間は一週間に一度、組合の学校にも行かなければなりません。 なぜかというと、どんな職場でも昔と違い、機械がたくさん入っています。機械の使い方だけ習っても意味がありません。 職人になる以上、一から手で作ることも習得しなければなりませんし、栄養のことや理論だって習わないといけませんから。

ベルリンのパン職人組合の事務所で
セクレタリーの方からそんなお話を聞きました。 私は、最初びっくりしましたが聞けば聞くほどやってみたいと思いました。 最初は面倒くさそうにしていた彼女でしたが、マイスターのいるパン屋のリストをコピーしてくれて、 普通、修業は9月からはじまるから、あと2ヶ月ある。がんばって!と最後には言ってくれました。 単純な私はつい数時間前にはカルチャースクールを想像していたにも関わらず、事務所を出る時には 修業をやる気になっていて、バス停までの道すがら、パン屋の中をじろじろ見たりしていました。

マイスター選びは試食から
と思い、リストと地図を見比べながら近所のマイスターのいるパン屋を探しました。 自転車で10分以内の範囲に4軒のパン屋をみつけて、一番近い所に翌朝パンを買いに行きました。 パン屋の中にはマイスターの賞状が飾ってありました。 今までだって、工場大量生産のパンは嫌だったので手作りパンの店で買っていたのですが、 家に帰って、その膨らみ具合や色艶を見ただけで違いは歴然でした。もちろんお値段も少しだけ高かったですが。 それから数日順番にマイスターのパン屋を訪ねました。 夜が明けない早朝から仕事になるわけですから、場所柄も大事だと思ったので、うち一軒は買う前にやめました。 最後に行ったお店には マイスターの賞状の他にも、たくさんの賞が所狭しと飾ってありました。 店先のおばちゃんは、ベルリン人とは思えないサービス、笑顔で応対してくれました。 なんか、ここ、いいな! そこで買ったバウァーンブロート、すごくおいしい。 そして翌朝、昨夜帰りが遅かった夫には、店の印象とかは未報告。 なんて言うかちょっと待ってみよ。 夫が「このパンおいしいね、どこで買ったの?」 と聞いてくれたので、もう、そこから私はしゃべりまくって、「ここに決ぃーめた!」。

組合では、パン屋に電話しろって言われたけど・・・
最初のコンタクトを電話でするのは、私にとってはかなり勇気のいること。 マイスターが電話を取るとは思えないし、第一印象を売り子に邪魔されてはやってられない。 と思ったので、手紙を書いて持って行くことにしました。 マイスターへ手紙を書きました。 私がどうしてパン作りを習いたいのか、習った後どうしたいのか、 ドイツでの仕事の経験はないけど学生時代二夏、東ドイツのお城修復のボランティアをしたことを書いて、チームワークで仕事が できるということをアピールしました。 あいにく、翌朝マイスターは早く帰ってしまっていて、会うことはできませんでしたが、 売り子の人の対応からして、門前払いにはならないような気がしました。月曜日にまたおいでと言われました。

最初はやっぱり断られました。
もう他に弟子がいるから、というのが理由でした。 毎年3ヶ月くらい日本のパンの会社からの研修生を受け入れているところを知っているから そこに電話をしてあげようか、と言ってくれました。 はじめこそ、カルチャースクールを探していた私ですが、その時にはドイツ人と同じ修業がしたいと考えが変わっていましたので、 物静かなマイスターに熱意の眼差しで、とりあえず無駄なことは言わず、ポツリポツリとここでやりたいという旨を伝えました。

そのうち、マイスターは更衣室を見せてくれて、言いました。
「うちは男の子しかいないから着替える場所がないよ」
私 : 「皆より早く出勤します。」
別にマイスターは何も言わず、こんどは工房を見るか?と聞いてきました。 オーブンや大きな冷凍庫を見せてくれて、 「出勤したら、その日の分のパンを焼くんだよ。それから翌日の分の生地を作って、この冷凍庫に入れるんだよ。」 と教えてくれました。 2人の18歳くらいの男の子が発酵した生地を計ったり、分けたりしていました。

私 : 「弟子は2人ですか?」
マイスター : 「そうだよ。」
私 : 「9月からの弟子はもう採らないんですよね」
マイスター : 「100パーセント決めたわけじゃないよ。」

私は、まだチャンスはあるんだ!と思いました。「弟子にするかどうか、一度試しに働かせてもらえませんか?」 勇気を出して、もう一度お願いしました。 マイスターは、7月の中ごろから交代で弟子が夏休みを取るからその時に来るか?と言ってくれました。

それから、服装のこと、自転車置き場のことを教えてくれて、最後に材料倉庫を見せてくれました。 そして、25キロの小麦粉の袋を指して、「こんな重いものも運んだりするんだよ。」 私は、「大丈夫、大丈夫、花の土を買ったときも、20キロでしたが、家までかついで帰りましたぁ!ほらぁ」と言って、 よっこらしょっ!と持ち上げようとしましたが、アレレ?重たーい。 二度目の挑戦でなんとか少し浮き上がりました。 マイスターも、「まあ、荷車もあるし必要量だけ運べばいいから・・・」と言ってふたりで顔を見合わせて笑いました。

店先でお別れするとき、マイスターが売り物の大きなケーキを二切れ包むように売り子の人に指示をして、 「こんどは、あなたが作るんだよ。これはパン作りよりおもしろいよ」 と言って、私にくれました。 私は、ケーキよりパンの方が楽しみなんだけどな、と思いましたが、とりあえず、 やったー!!!第一関門、突破だ。と意気揚揚とおうちへかえるのでした。

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20年経って、パン業界のこともずいぶんよく分かっている今の状態で読むと、いろいろ突っ込みどころがありますが、ま、当時はこれぐらいの知識だったってことで。

あと、やっぱり今と違って、インターネットを活用する時代でもなかったっていう、時代の違いもありました。

それから、25キロの袋が持ち上げられない?私が??
ははは、今は老化で難しくなってきましたが、20代の若者がそれぐらい持ち上げられないでどうする?!
そういえば、当時のベルリンのS-bahnの手動扉も日本から来たてだった私は開けられずに近くの人が手伝ってくれるってこともよくありました。
今の私からは想像つかないですよね。ひ弱だったな、私って感じですかね。

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by deutschebaeckerin | 2018-12-05 14:05 | ドイツの生活 | Comments(0)

ゼロからのスタート

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今もそうだと思いますけど、ドイツで部屋を借りるとキッチンってご覧のように水周りとコンロ以外は何もついていないんです。
ドイツというと、システムキッチンというイメージですけど、引っ越す時はあれごと全部次の住居に持って行くらしいのです。
そういうわけで、私達が1998年12月から借りることになったベルリンの部屋も、ご覧のとおり棚も作業台もなーんにもありませんでした。
1998年の冬は大寒波ですごく寒かったので、私が立ってる足元の窓下の収納棚がとっても冷たくて、春まで我が家は冷蔵庫も買わずに過ごしていました。

お金がなかったこともありますが、とりあえず安物を置いちゃうとか、パッとIKEAなどで揃えてしまうのが私達は好きではないので、じっくり気に入るものがみつかるまでは中古品でしのぐというスタイルで、ベルリンでの家具や電化製品はほとんど全部「Zweitehand(セカンドハンド)」という新聞で探して、電話してアポとって見せてもらいに行って、気に入ったら購入(場合によってはRobbe und Wientjesというトランスポーター専門のレンタカーで車を借りて)という流れで物を揃えて行きました。

キッチンも確か春ぐらいまで、木工作業をする時に使う脚立みたいな支えの上に板を載せて食卓にしていたし、テーブルや椅子もなかなか気に入るものが見つからなくて、ベルリンで中古で買って使っていたものをスイスまで持ってきて、更にスイス国内の引越しでも運んで使っていたものです。私の仕事場所の棚なんていまだにベルリンの粗大ごみ置き場から拾ってきたもの。。。。いつまで使うんやろ、これ。

話が逸れますが、粗大ごみといえば、私がいまだに愛用している30x30mの天板。これなんて、私が小学校1年生ぐらいの時に、実家の母が拾ったガスオーブンにに付いてたものですよ!当時、友の会に入ったばかりで、ケーキとかクッキーとかパンとか習ったものを焼いてみたかった母が、オーブンが欲しい欲しいって言ってたら、粗大ゴミとして出されているのを発見して、しかも一番欲しかった「ガスのオーブン」!「誰が出したのかな?」って近所に聞きまくってその方を見つけてみたら、本当は手放したくなかったけど引っ越すから置いていくとかいう品で、母が使ってくれるなんて嬉しい!って言って、天板(これは取っておこうと思ったみたい。天板て数があると便利ですもんね。)とかホース(別に捨てようと思ってたみたい)とかも家から出して持ってきてくれて、ということがありました。

もう一個、話が逸れついでに、スイスだとブロッケンハウスという不用品を売ってる場所があって、スイスに引っ越してきて、そこで購入したのがイタリア製の真っ白なコットンが張ってあるソファ。ちょっと面倒くさいのですが、このコットン全部はがして洗うことも可能だったんです。白だから90度とかで洗っても平気なんです。90度で洗うとどんな汚れも取れて真っ白!!13年ぐらい使ったかなー。今の住居に引っ越す際に捨てたいけれど、粗大ゴミ代がかかる。でも、売れるような品物ならブロッケンハウスが無料で取りにきてくれるんです。まずは品定めする人が来て、無料で引き取るか、お金取られるかって査定が入るんですけど。その人、「お子さんもいらっしゃるのにすごくきれいですね。まだあまり使ってないのでしょう。(私は笑顔でハイともいいえとも言わず)・・・・無料で引き取りますよ。」ってことになりました。13年ぐらい前にブロッケンハウスで買ったものなのに~!でも、中古でも600フラン(7万円ぐらい)した品で、かなり良いものでしたよ。背もたれを引っ張るだけでベッドにもなっちゃうっていう。

話はもどって、うちの食卓と椅子。やっと10年ぐらい前に、南ドイツをドライブしてたらJonny Bという家具職人が展示会をしてるところを通りかかり、建物自体が素敵だったこともあり、ちょっと中に入ってみたところ、私も夫も同時に「やっと見つけた!!これだ!」というのが一目で見つかってすぐに注文したんですよ。

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だだっ広いおうちに、ゆっくりゆっくり揃える生活をしていたので、あまりにもリビングが寂しくて観葉植物が欲しくなったんですけど、お店に行って見てたら、いや、家具買う前に観葉植物にこんなにお金払うのは本末転倒やろ!って思って、せっかく来たんだしって思ってお箸ぐらいの大きさと細さのドラセナの鉢植え(ドラちゃん)を買ってきて窓際にちょこんと置いてたぐらいでした。当時いくらだったかな、高くても10マルク(600円)ぐらいじゃなかったかな。

そのドラちゃんもいまだ我が家で現役です。私の背を追い越しました。椅子とテーブルはJonny bの。子どもたちが工作をするためにプラスチックテーブルクロスがかかってた時の写真だし、なんかぶれちゃってますが。ちょっとずつ買い足してる割には、子どもが生まれてからは更に物がどんどん増えて、もともと片付けは下手ですが、片付けても片付けても片付かない我が家です。
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by deutschebaeckerin | 2018-11-07 05:00 | ドイツの生活 | Comments(0)

ドイツ時代の住まい



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夫はあっさりとその会社のベルリン支社に勤めることが決まり、そのまま私たちは住まい探しをすることになりました。
ベルリン人の夫の友人に教えてもらい、新聞を買ってきて(なんていう新聞だったかな。。。。Berliner Morgenpost?Berliner Zeitung?忘れてしまった。当時ベルリンの住居探しだったら、これ!という新聞があったと思うのですが)、広告を出してる人に連絡を取って見せてもらうという感じでした。不動産屋に行って、不動産屋さんから紹介してもらうという感じではありません。

夫の友人のところに長く居候するのも悪いので、早々に出て、夫の幼馴染のところへ。(って、結局また居候かいっ!)
夫の幼馴染も彼女と暮らしていたので(20代の気の強い彼女、笑)、また数日だけで出てユースホステルに引越しました。
日没の早い11月のドイツ、「今日も部屋みつからなかったな~(選ばなければすぐみつかりますが・・・・)」と思いながら、夕暮れの住宅の窓から温かそうな灯りがともっているのをS-Bahn(エスバーン:市内鉄道)から眺めながら、「早く私たちもおうちに住みたい・・・・(マッチ売りの少女の気分)」と思っていたものです。

しかしながら、決まる時はすぐに決まるもので、夫の会社から徒歩5分以内のところに夫が住みたかったAltbau(アルトバウ:古い建築)の部屋がみつかりました。
大家さんは元パン屋さんというフリッツさんというおじいさんで、なんだか私たちのことをすごく気に入ってくれて、会って部屋を見てお互い即決でした。
天井まで3・5mも高さがあって、天井にはどの部屋も、キッチンでさえも彫刻がついていて、床は板張り、3部屋+キッチンで、120平米、一ヶ月の家賃は1100マルク(550ユーロ)。当時1マルク65円ぐらいでしたので、72000円弱。

この20年で不動産価格はすごく上がったので、今、ベルリンに暮らしてる方が聞いたらびっくりのお値段ではないでしょうか。

ちなみに、写真は私たちがまたベルリンから引っ越す時に撮ったものです。
1998年当時はデジタルカメラなんて、あるところにはあったのでしょうけど、身の回りで持ってる人なんて一人もいなかったですよ。

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by deutschebaeckerin | 2018-10-29 13:17 | ドイツの生活 | Comments(0)

そもそもバーデン・バーデン近郊出身の夫とどうしてベルリンに住むことになったか、なんですが、夫が大学を卒業して仕事を探すにあたり、当時はちょうどインターネットバブル前夜という感じでしたので、ITが専門の夫にとっては売り手市場。行く面接に一緒にくっ付いて行って、どこに住むかを決めようという話になっていました。

行った場所は、デュッセルドルフの北側のデュースブルク、南仏コートダジュール、ミュンヘンでした。

デュースブルクの面接に夫が行っている間に、ひとりで町を散策・・・・中華レストランで一人ランチして、その後カフェに入ってカプチーノを注文したら、コーヒーにホイップクリームがただ乗ってるだけみたいなのが出てきて衝撃を受けました。が、当時はまだドイツってこんな感じだったんですよ。今、画像検索したら、スタバの商品でホイップクリームが乗ってるようなのもあるみたいですけど、それは下にすでにちゃんとしたカプチーノがあって、そこに更にクリーム増量という感じでホイップクリームが乗ってる感じですよね。じゃなくて、当時はただのコーヒーにホイップクリームが乗っかってるのが、カプチーノです!みたいな店もざらにあったという感じです。今と違って、インターネットでレシピや世界のどこかの飲み物の写真が見られる、みたいな日常ではなかったですから。あとは、デュースブルクの思い出と言えば、面接が終わった夫と落ち合って、社会の授業で有名な「ルール工業地帯」の電車に乗っていたら、ちょうど夕方の帰宅時間と重なったものですから、結構人が沢山乗っていて、東京から来たばかりの私は冬なのにスカートといういでたちで地味なドイツのファッションの中で浮いていたので、「あの娘、スカートはいてるよ(注釈:当時私まだ25歳ですから「娘」とさせていただきました)」みたいなことを言われたり(別に傷ついたりしてませんが、ただ単に、そんな言うほど珍しい?って思った程度。)、スーツ着た男の人が携帯電話でベラベラ喋ってるのですが、「俺、携帯電話持ってるんだぜー」みたいな感じで、これ見よがし感が半端ない感じでした。当時の日本では、すでに電車内で携帯で話すのは迷惑みたいな風潮になってきていたので、なんか思っていたよりドイツって遅れてるなーなんて思ったものです。

南仏コートダジュールにも行きました。11月に・・・・バカンスシーズンが終わって、レストランもカフェも閉まっていて、とにかく寂しい町という印象しかなく、「こんな所住めない」と思ったものです。もしかしたら、今の私がシーズンオフに行ってもそういう印象はないかもしれません。しかし、当時は東京からパッと来たばかりでしたから、私が受けた印象ってこんな感じになりました。夏に行っていたら、きっと全然違う印象で、「ここに住みたい!」と思っていたかもしれませんね。

そして、ミュンヘン。上記2箇所より断然良い~~!と思いながら、夫が面接に行ってる間に一人で街を散策。マリエン広場からずんずん一人で適当に歩いて行ったら、イザール川に出て、川の向こう側を見たら住宅街が広がっていました。そこで、私、「え?これで街が終わり??」って衝撃を受けました。ごめんなさい、ミュンヘンもっともっと大きいことを、私は今は分かっています。ただ、当時25歳だった東京から来たばかりの私は、ミュンヘンってこんだけ???って失礼ながら思ってしまったんです。それで、夫がミュンヘンの面接が終わって帰ってきて、「自分はこの会社で働きたい。勤務地はミュンヘンでもベルリンでも良いんだって。」って言うので、ベルリン行ってみよ!ってことになり、確かその足でベルリンの支社にも行くことになったのです。

ベルリンには夜に到着して、ベルリン在住の夫の友達の家に泊めてもらえることになり、夜のベルリンをタクシーで走りました。都会っぽい夜の明かり、街灯が終わらない。。。。この街、でかい。ここなら住める!と思ったのでした。それで、ベルリンに住むこと決定しちゃったというアホな若いカップルだった私たち。若気の至りとはまさにこのこと。ただでかいだけで、貧乏なボロボロ首都だとは知らず・・・。

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by deutschebaeckerin | 2018-10-28 23:27 | ドイツの生活 | Comments(1)

誕生日パーティー

f0141507_075683.jpg

10日ほど前にダンナの40歳の誕生日パーティーがありました。
隣町のはずれにある農家にお願いしたのですが、天気もよく、ご飯もおいしく、
ドイツ&スイスに住んでいる家族や友人たちが沢山あつまってくれて、楽しい夜になりました。

まずは農家で作っている林檎のシャンパンで乾杯してから、自家製野菜のサラダビュッフェ。
その後のメインは、ジャガイモのグラタン、インゲン豆、厚切りのハムだったのですが、
どれも自家製のもので、素材が新鮮で良いからか、簡単なお料理なのに(だからこそ?)
とーっても美味しかったんです。お客様たちにもとても好評でした。

その後は自家製の蒸留酒やリキュールがずら~っと出てきて、いろいろ試せましたし、
最後はデザートビュッフェで〆!
子供たちは外で遊べるしで、本当に良い場所でした~。

来てくださった方々から、「どうやってここみつけたの?」とよく聞かれました。
この農家のお店の商品を詰め合わせにした贈り物を一度頂いたことがあって、
そこについてた名刺にホームページアドレスがあったので、アクセスしてみたら素敵で、
一度お店に買い物に行ったのがきっかけです。
中には、今度、会社のパーティーで使いたいとおっしゃってる方もお一人ならずいらっしゃいました。
みんなに喜んでいただけるパーティーができて、オーナーさんご夫妻には感謝感謝です。

この農家さんです。
Hof Märcht
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by deutschebaeckerin | 2008-06-02 00:11 | ドイツの生活 | Comments(13)

ハウスコンサート

f0141507_21493888.jpgもう10日ほど過ぎてしまいましたが、3月30日(日)の夕方から義父母宅でハウスコンサートがありました。
なぜ日曜の夕方からかって??
・・・・お仕事引退したご老人方(義父母とその友人)って、とーっても忙しいんですよね。
お出かけ、お茶会、コンサート、家族の集まりなど遊びの予定がぎっしり。
そういうわけで、一番みんなが集まれるのが日曜夕方からだったんですって。

4月に入ってここのところ再び雪が降ったりと寒い日が続いているのですが、
ハウスコンサートの日はとても春らしい日差しの気持ちの良い一日でした。

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by deutschebaeckerin | 2008-04-09 22:16 | ドイツの生活 | Comments(8)

カルテス エッセン

f0141507_2035073.jpgカルテス エッセン(冷たい食事)は、ドイツの夕食でよく食べられるもので、火を使わずに簡単に済ませましょう、という感じのものです。美味しいハムやサラミなどの肉製品、チーズ、野菜、パンを並べて、あとは適当に各自が食べたいだけ食べます。火を使って作る食事となると、どうしても胃に重たくなってしまうので、この方が軽めでいいんですよね。でも、日本では夕食が一番豪華になることが多いですし、なんだか朝食と似たようなものがテーブルに並ぶのって・・・って感じもあって、うちではたま~にしかやりません。しかしながら、夜に肉料理やらパスタやらっていうのも、めったになくって、どちらかというとサラダとかスープをメインにしたような料理にしてます。

ちなみに、昨日はたっぷりサラダとパン。どんなサラダかというと、トマトと海草ミックスを和風ドレッシングであえておいたものを、食べる時に山盛りレタスと混ぜて、周りにはファラフェルとインドネシアのえびチップスを飾ってみました。ファラフェルは、もともとの目的は今日のお弁当に入れるためでしたし、せっかく揚げ油を使うからということで、えびチップスも揚げたってだけで、結構手抜きです。こんなのでもダンナは大喜び。・・・うちの母が見たら、「ま~!」と私に怒ったあと、「〇〇さん、ごめんなさいね。」ってダンナに謝ってることでしょう。

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by deutschebaeckerin | 2007-07-10 20:07 | ドイツの生活 | Comments(8)

村唯一のゲイ

リトルブリテンのダフィド・トーマスは、「村唯一のゲイ」ってことをアイデンティティにして、ふてぶてしく生きていますが、昨日ARTEで放映されたドキュメンタリー映画で、ドイツの田舎に暮らす本物の「村唯一のゲイ」達の日常を見て、保守的な土地で苦労されているんだな、と少し感傷的な気分になったり、仲間や安心できる場所を求めて都会へ行く彼らに共感を覚えたりしました。

Ich kenn keinen - Allein unter Heteros

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by deutschebaeckerin | 2007-07-09 15:55 | ドイツの生活 | Comments(1)